「基地と環境」意識的に追及−奇形カエル発見

忘れ得ぬ−あの取材−


flog  夏休みで具志川小へ臨海学校に来ていた開南小の児童らが海水浴中に原因不明の皮膚炎症を起こし、化学薬品で海が汚染されたのではと問題になったのは1968年7月21日。当時私は鹿児島支局から本社へ帰って、厚生担当記者をしていた。原潜による放射能流出問題を徹底的に追及、「基地と環境」をテーマに那覇港への原潜寄港など、かなり意識的に取材していた。
 子供らの事故が起きた現場へいった私は実際に皮膚炎症が起きるかどうか、裸になって海へ入ってみた。大人と子供は違うので結果は出なかったが、、いま思えば記者根性というか、妙な強がりだ。
 その海水汚染の周辺取材としているときに得た情報が奇形カエルの問題。現場近くのビーグ(いぐさ)田に異常なカエルがかなり生息しているという証言があり、具志川中の生物担当教師を訪ねたら、ホルマリン漬けにした11本足の標本を保存していた。気持ち悪いものだった。
 結局、米軍施設からの化学薬品が原因と言うことは立証されなかったが、生態系に影響が出た証拠だという、かなりの疑いを持って取材していた。写真は全国紙にも紹介され、反響を呼んだ。本土の原水協も動き出した。
 復帰闘争は、単に日本に帰りたいというだけではなかった。米軍基地に絡むエコロジーの問題や沖縄戦体験を基礎にした反戦感情、さらには基地と人権、安い軍用地料。そうしたさまざまな要素が一つの流れとして抵抗運動に集約されていった。


〜沖縄タイムス1998/03/31朝夕刊〜
元沖縄タイムス監査役・川満信一

Back